「DV夫にやり返すと…」
「お前、いい加減にしろ!」
昭一の怒号とともに、皿が割れる音がリビングに響いた。
またか、と渚は心底うんざりしていた。
昭一と結婚して20年が経つが、昭一には怒りが爆発すると物を投げる悪い癖があった。
結婚当初、暴れる昭一に渚は怯えたものだが、今となっては慣れてしまった。
ただ、渚(なぎさ)が大事にしていた皿やお揃いのマグカップまで割られたことがあるので、昭一の悪癖は何とかしてやめさせたいとは思っていた。
翌日になると冷静になるのか、昭一は必ず謝罪をしてくる。
「渚、ごめん…」
「謝るくらいなら最初から物に当たるのやめなよ」
「わかった。もう物は投げないようにするよ」
「本当にやめてほしい」
「ごめん…」
渚と昭一は同じやりとりを、もう何十回もしている。
友人達に相談をすると、「DVだから離婚した方がいい」と口を揃えて言われた。しかし、渚は昭一が好きだった。
この悪癖さえなければ、普段は面白くて優しい夫なのだ。
精神科に行こうと声をかけたこともあったが、昭一に激しく拒否をされ、実現できなかった。
友人のアドバイスを元に、昭一が二度と暴れないよう、渚は離婚届を書いて見せることにした。
渚の名前が記入された離婚届を見て、昭一は涙ぐんだ。
「ごめん、もう絶対にしないから」
「あなたもこれに記入して。お守り代わりにしよう。次に暴れたら、すぐに提出しに行くから」
「…わかったよ」
昭一は震える手で離婚届に記入を行った。
その後3ヶ月ほど、昭一は大人しかった。
渚は、昭一が心を入れ換えてくれたのだと安堵した。このまま夫婦仲良く暮らしていきたいと、心から願っていた。
しかし、ちょっとしたことがきっかけで、渚と昭一は喧嘩をしてしまった。
「俺は反対だぞ」
「あなたに反対されたって、決めるのは私だから」
渚はどちらかと言えば気が強い方であり、喧嘩になると言い返せずにはいられなかった。
口論はヒートアップし、昭一はリビングにある猫の置物に手をかけた。
「待って!それはダメ!」
渚は慌てて止めたが、次の瞬間に猫の置物は壁に投げつけられていた。
それは、渚が昔飼っていた猫を模した物で、渚の宝物だった。
耳が割れた置物を見て、渚は呆然とした。そしてその渚を見て、昭一は目が覚めたようだった。
「わ、わざとじゃないんだ。そこにあったから…」
渚は怒りで頭が真っ白になった。自分の感情がコントロール出来なくなり、震える拳を握りしめながら呟いた。
「…わざとじゃなければ、何をしてもいいんだね」
「えっ…渚、待ってくれ!」
渚はフライパンを握ると、ドタドタと大きな足音を立てて昭一の部屋へと駆け込んだ。そこには、たくさんの鉄道模型が飾ってある。
昭一は鉄道模型を集めることが趣味であった。
騒ぐ昭一を振り払い、渚は手に持っていたフライパンを大量の鉄道模型目掛けて力一杯投げつけた。
ガッシャーン!と大きな音が響き渡り、ガラスケースの破片と壊れた鉄道模型が床に散らばった。
「あ…あ…」
膝から崩れ落ちた昭一に向かって、渚は冷たく言い放った。
「ごめーん、手が滑っちゃったみたい。わざとじゃないの」
昭一はしばらく呆然としていた。
「私の大切な物を壊されたときの気持ち、わかった?」
「…ごめん」
その後、昭一が暴れることは二度となかった。怒りを見せても、すぐにハッとした顔をして、止まることが出来るようになった。自身の宝物が壊れた経験から、昭一は心から反省したようである。
目には目を歯には歯を。少し荒治療ではあったが、平穏を取り戻して安心した渚であった。
おわり。