「義母への仕返し」
福島県
ちまき
私の夫の家庭は義父、義母、義妹の四人家族で義父は以前大手会社の重役まで務めた人でしたが、会社を定年退職してからは特に何をするでもなく家でのんびり過ごしています。義母は結婚後はずっと専業主婦を続けています。義妹は大学卒業後は働いた経験がなく家でぶらぶらしています。夫の家族全員が何でも有名であったり、ブランド品や一流の品物でないと好きではなく、買いもしません。例えば銀座で買い物はするけれども東京の下町では一切買わない、行くレストランも雑誌で紹介されたり、昔からの老舗でないと足を運ぼうとしません。ブランド品志向は品物ばかりでなく、人に対しても有名大学卒業であるとか、一流会社に勤務しているとか、医者や弁護士、公認会計士などの所謂社会的地位が高い職業の人としか付き合おうとしないのです。まあ、義父も有名私立大学していますからね。
夫の家族は大変な資産家というわけではないので、夫は自分の妹に働くように促したり、私自身も仕事を紹介したりしていましたが、義母はこのような行為をよく思わず、「華子を働かせるなんてとんでもない、華子はお嬢様なのだから、家にいるのが当然だ」と思っているようで、夫に「余計なことを華子に言わないで」とくぎを刺しました。夫はこのような家庭で育ちましたが、大学卒業後は大手会社に就職し、システムエンジニアとして仕事をしており、まともに働いています。私も金融関係の会社に勤めています。
夫の父方の祖母は福岡に住んでいて、土地や家屋を何軒も所有している資産家です。義母と夫の祖母は昔から折り合いが良くなく、互いに避けているようなとことがありました。夫の祖母は高齢ですが、一人暮らしを続け身の回りのことは自分でやっていました。夫は子供の頃に祖母に育てられた時期もあり、祖母を慕っていて時間が許す限り福岡に祖母に会いに行っていました。福岡に行く時は私もよく一緒に行ったので、夫の祖母と親しくなりました。会いに行く度に夫の祖母といろいろな話をしたり、いろいろな場所に小旅行に出かけたりしました。夫の祖母の手料理もよくごちそうになったものです。夫の祖母は私を実の孫のように可愛がってくれたのも嬉しかったです。夫の祖母からはよく義母の悪口を聞かされましたが、いつも軽く受け流していました。
丈夫そうに見えた彼女でしたが、ある日心筋梗塞であっけなく逝ってしまいました。夫の祖母の告別式に参列してわんわん泣いた自分がみっともなかったですが、それほど夫の祖母の死は私にとって悲しかったのです。義父は告別式に参列しましたが、義母と義妹は口実をつけて式には参列しなかったのには驚きました。
夫の祖母の告別式から一か月ほど過ぎた時に某弁護士の方から義父や夫に連絡がありました。何でもその方は夫の祖母の財産管理を任されていた人のようです。義母は夫の祖母の遺産分割の件で弁護士が連絡してきたから、義母自身はどのくらいの財産をもらえるのか、いつになく興奮していました。夫の祖母に委託された弁護士は義父の家に来て、夫の祖母の遺言状について話をするということでした。弁護士が来られる当日は義父、義母、義妹、夫、私が義父の家のリビングで弁護士の訪問を待っていました。いよいよ弁護士がやってきたときは義母の喜びようといったら、すごかったです。そして弁護士が遺言状を読みあげると、それまで義母の誇らしげな顔がみるみるうちに怒りの表情に変わっていきました。そうです。遺言状の内容は土地やすべての家屋は私の夫に譲り、現金や有価証券などは義父、夫、私の三人で分割するようにとのことでした。義母や義妹の分は全然ありませんでした。因果応報とはこのことです。
おわり。