「嫁タクシー」
「ちょっと、博美さん!郵便局に行きたいから、車を出してちょうだい」
「…郵便局ですか?」
ワイシャツにアイロンをかけていた博美は手を止め、声の主の方へ振り返った。
同居をしている義母は、車の運転ができる博美を足のように使う節があった。買い物や遠くに行く際にはもちろん、義母は近場でも車に乗りたがった。
郵便局までは徒歩10分。博美が家事を止めて支度をして車を出すより、義母が歩いて行った方がよっぽど早い。
「お義母さん、郵便局なら歩いて行った方が早くないですか?」
「年寄りを歩かせる気?車出すくらい、いいじゃない!」
「…わかりました」
なかなか折れない義母に対して内心悪態をつきつつ、しぶしぶと博美は立ち上がった。
郵便局で義母が用事を済ませ、その帰りに買い物をしようとスーパーに寄ろうとすると、後部座席にいた義母が騒ぎ始めた。
「スーパーは寄らないで。家に帰って。ドラマの再放送が始まるから!」
「お義母さんが毎日飲む牛乳、もうないんですけどいいですか?」
「いいわよ。さ、早くして。早く帰って」
義母のわがままに苛つきながら、博美は家に帰った。
それから二時間後、博美が夕御飯の支度をしていると、義母がキッチンにやってきて言った。
「牛乳ないのよね?スーパーに行きましょ」
「えっ、今からですか?」
「明日の朝に牛乳がないのは困るわ、早くして。車なんだからすぐでしょう?」
「…はい…」
このように1日に何度も車を出させられる日があると、博美は疲れてしまう。
車から降りるときに感謝の一言でもあればいいが、義母からありがとうと言われたことはない。
翌週、義母が近所の友人を招いて家でお茶を飲んでいた。
買い物から帰った博美が和菓子を出そうと客間に向かうと、義母とその友人が大きな声で談笑しているのが聞こえた。
「でもいいわよね、嫁が車に乗れるって。羨ましいわ。バスとかよりずっと楽じゃない!」
友人の言葉に対し、義母は笑いを含ませた声でこう言った。
「まあね、うちの嫁はタクシーよ。いつだって乗れて、便利なんだから。そうだ、今度うちのタクシーに乗せてあげるわよ!ふふふ」
聞こえてきたその言葉に、博美は怒りを感じた。
義母は博美に感謝するどころか、便利なタクシー扱いをしていたのだ。
博美は、義母に仕返しをしてやろうと思った。
数日後、博美はまた義母から車を出すように頼まれた。
「お友達とショッピングモールに行くの。お友達を家まで迎えに行ってちょうだい」
「…わかりました」
博美は義母を乗せ、義母の友人の家へ向かった。そして義母の友人を乗せて、言われた通りショッピングモールへ2人を運んだ。
義母も義母の友人も、博美に感謝の言葉ひとつ言わない。
2人が平然と車から降りようとした瞬間、博美は運転席から振り返って言った。
「2780円です」
「…は?」
義母がポカンとした顔をしていた。
「初乗りの代金含めて、ここまで2780円です。お支払は現金でお願いします」
「ち、ちょっと博美さん、何を言っているの?」
「?私はタクシーなんですよね。お義母さんが言ってたじゃないですか。タクシーはお金払わないと乗れませんからね」
博美の言葉を聞き、義母は顔を真っ赤にして怒りだした。
「お金なんか払うわけないでしょう!」
「そうですか。じゃ、帰りは本物のタクシーに乗ってくださいね」
義母の返事を待たず、博美は車を発車させた。
ミラーで後ろを確認すると、車に向かって怒りながら何かを言っている義母が見えた。
その姿が滑稽で、博美は大声で笑ったのだった。
おわり。